ハロプロの神話

神話で重要なのはその構造・枠組みであり、中身は自由に置き換えることができる、と諸星大二郎は『マッドメン』で描いていた。行う者や使われる物に差異があろうとも、構造が同じなら結果も同じになる、と。
昨日の℃-uteレコ大を見ていたらそんなことを思い出した。
選ばれた者は、選ばれなかった者に追い抜かれる。本当に最初から再現を狙ったんじゃないかと思えるくらいの鮮やかさ。この後も神話は辿られるのだろうか?


しかし萩原舞、感情の高ぶりを隠しきれないながらも見事なコメント。学校の絵画コンクールで金賞とったかのように、あのような高みで地に足をつけている。無理も乖離もない計算も魔法もない。「ナチュラルボーンアイドル」なんて間違っても言っちゃいけない(もう誰も使ってない言葉?)。とにかくなんとも恐ろしいものを見た気がする。